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2011年1月

2011年1月24日 (月)

町石道を歩く(九度山~高野山)

四国遍路道ウォークつながりの最後、

2010年3月に町石道を歩いた。

町石道とは慈尊院(九度山町)から高野山へ至る約22kmの参道で、四国遍路の最後に歩くと聞いて、私達 も歩くことにした。

案内は下記(道中の掲示板)。

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前日、九度山町に宿泊し、町内を散策

真田庵とその中にあったことば

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「米金の金時像」

九度山町ウェブによると明治~大正時代の南紀荘平という陶芸家が作ったとされる高さ2mあまりの陶像

「まさかりかついだ金太郎…」という唄を思い出す。

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慈尊院へ向かう紀ノ川沿い

桜並木と、かわいらしい真田十勇士の像が迎える

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慈尊院のすぐ上、丹生官省符神社境内の桜

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高野山大門へ向かう気持ちが高まる

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紀ノ川と、かつらぎ町を望む。天気も良く、心豊かな時空間!

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1町(約109m)毎にある町石を確認しつつ、歩を進める。

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弘法大師がお母さんをかくまったとされる押上石、角に座って真言をとなえると、必ず成就するとのいわれがある鏡石

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道沿いの小川にはいつも心惹かれる、そしてつらら

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最後の登りを越えると、大門到着。

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壇上伽藍金堂、根本大塔、金剛峰寺に参拝。

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奥の院へもお参りしたが、恐れ多い感じがして写真はとらず。

有名な戦国武将の墓、企業の墓等が多いことに驚く。

宿泊は恵光院宿坊。

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お風呂で一緒になった外国人に話を聞くと、イスラエルからのツアーでこの後大阪、京都を回るとのこと。

高野山は世界遺産に選ばれたこともあって、外国人が多い。

高野山の町並み

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高野山駅からケーブルカーで帰途へ

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2011年1月10日 (月)

四国遍路道ウォーク_5 「ことば」

歩いている中で、すっと心に入ってきたことば、穏やかな気持ちになったことばをいくつか紹介したい

最初はロッジ尾崎さんの部屋にあったことば、

ひたすら室戸岬に向けて歩いている頃に出会い、力づけられた。

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ロッジ尾崎さんではとても暖かくもてなしていただき、この面でも 元気をいただいた

このブログで既出だけど、道端の寄せ書きに暑さが和らいだ

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がんばれよと、そっと言われているように感じた

「お遍路の静かに去って行く桜」    高浜年雄  (土佐 国分寺)    

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登りでの疲れを労わってくれているよう(青龍寺へ向かう塚地峠)

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歩いていると、この類も結構ある

人の心の荒びを思う(金剛福寺へ向かう道)

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これも既出だけど、「そうそう」と思わず頷く

「みんなでまもろう 川のいのち」(三原村)

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時には文学の香りも (龍光寺へ向かう柏坂)

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これは有名、場所が場所だけに説得力がある

坂村真民 (吉祥寺) 

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こういう、ほのぼのとした感じが好き

御木幽石 (道隆寺)

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ことばが持つ力は大きいと思う

2011年1月 9日 (日)

宮島

天気も良さそうなので新年の宮島へ

宮島への船はJRと松大汽船がある

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今回は発船時刻が近かった松大汽船を利用、内装が以前よりも洗練されていた

左の写真が進行方向、右は後方(フェリーなので前後の意味はあまりないが)

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船上から見る宮島

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混雑を避けて平日を選んだ作戦成功で、宮島桟橋を出ると下記の通り

(実は、人が少なくなるまで待った結果ではあるけれど…)

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観光地らしい風景、人力車を見たのは初めて

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お馴染みの鹿、流石に冬場はお休みモード

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参道風景

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宮島土産で有名なしゃくし

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再び、参道風景、こういう箴言?にはつい目がとられる

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鳥居と、記念写真スポット  いつ見ても、海の中の朱の大鳥居には感動する

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いよいよ、厳島神社の中へ   

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由来のある池、石

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五重塔、記念写真スポットの平舞台

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見るだけでなんか嬉しい 酒樽 、能舞台

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厳島神社を出て、古の風情が残る町並み

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簡単ながら厳島初詣の巻完

元日は地元のお宮さん、3日は護国神社、7日は厳島神社と初詣づくしで新しい年を迎えた

良い年であってほしいし、したいものだ

2011年1月 3日 (月)

四国遍路道ウォーク_4 「人」

 

以前のブログで、四国を歩いてのメッセージとして「積み重ね」ということを書いたが、もう一つの大きなメッセージは「人にとって最も大きな力、支えとなるのは人である」ということ。

 2年弱の歩きを通じて歩き遍路、宿、お寺、そして地元等の様々な人との出会いがあった。

 ここでは歩き遍路、地元の人との出会いについて触れたい。

 歩き遍路には、一人もいれば、一緒に歩こうと集った旧知の人、夫婦、更には歩いていて気が合い一緒に歩くようになった人等、様々な人がいる。また、実際にお会いした中でも、病から回復し、薬を携えながら一人で歩いていたおじさん、山歩き仲間と一緒に「一周することが好きなんだ」と言って80歳を過ぎても元気一杯のおじいさん、要領がよくいつの間にか私たちを追い抜いていたかと思うと風景を眺めながら足を休めているご夫婦、リュックを担いで野宿で通している若者等、世代や歩く姿も様々である。

 唯一共通なのは「88ケ所を歩く」ということで、すれ違えば親しみを込めて挨拶を交わし、休憩所や宿で一緒になれば「あの道は大変だったが、こっちの道は楽しかった。明日はどの道を行くのか、どこで泊まるのか?」などといった話題で盛り上がり、また何度目かの歩きの人がいれば、あれこれ教えてもらうという具合に、内面にまで立ち入ることはないものの、恰も以前からの知り合いだったかのように打ち解けてことばを交わすことができる。

 同じ時期に、同じ場所を歩くことで知り合い、語り、そしてまた明日は別れてゆく。多くの一期一会がここにはある。

 しんどい時、不安な時にも、今どこかを同じように歩いている人を思い起こすことがどれほど励みになることか。ましてや、女性一人の歩き遍路さんや、はるか昔に今とは比べようもない厳しさの下で歩いていたお遍路さんに思いを巡らせれば、今の自分の苦労など小さなことに思えてくる。

 遍路にはお接待というもてなしの慣習?があることを聞いていたが、最初に経験したのは2008年の5月、歩き始めて2日目、9番 法輪寺から10番 切幡寺に向かって心持ち汗ばんで歩いている時。道端にテントが張られ、老若男女そろったご家族が冷たい飲物を配っておられた。「えっ、もらっていいの」と一瞬戸惑ったものの、その優しい雰囲気に自然と手が出た。「毎年お配りしているんですよ。お気をつけて。」とのことばがとても嬉しく、早速いただいたジュースはこの上もなく美味しかった。

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 以降も、暑い中を走って来て冷たいジュースを手渡してくれたおばさん、一休みと立ち寄ったダムの休憩所で「私たちも歩いたことがあるんですよ」と言って、自分達用に持っておられたプリンを差し出してくれたご夫婦、突然車が停まったので何か尋ねられるのかなと思っているとタオルと飴を渡してくれたおじさん、「いつもお遍路さんが道の向こう側を歩いていてお接待ができずに残念に思っていた」と言って、昼食で頼んだ焼き飯に味噌汁、更に何とコーヒーまで付いていてびっくりしていたところへ代金を受け取らなかった食堂の母娘等、いたただいたお接待は数えきれない。

 日常生活では見も知らない人がものをくれるなどということは皆無に近いし、もしそのような機会があっても怪しんで受け取らないのが通常だろう。ところが、四国では知らない人が「お接待です」と言って、ものを差し出し、「ありがとうございます」と言って自然にいただくことができる。しかも、これらが暑さでぐったりしている時、歩き疲れて足が動かない時、寒さで心まで冷え込んでしまいそうな時など、絶妙のタイミングで施され、身体も心も生き返る。二言、三言ではあるものの交わすことばが更に大きな力を与えてくれる。

 歩きを支えてくれるのはお接待に限らない。道に迷っている様子を見ると進んで案内してくれる人、すれ違う際に「どこから来たの?ご苦労様、お気をつけて」と声をかけてくれる人、大きな声であいさつしてくれる小中学生、たくさんの遍路休憩小屋、泊めていただいた民宿等四国全体が暖かく迎え入れ、包んでくれているように感じた。

 私の遍路道ウォーキングはこのような多くの人に支えられて初めて可能になったと心底感じている。

 最後になるが、これまでいただいた力に少しでもお返ししたいと2010年の5月に四国お接待のドライブに出かけたことも記しておきたい。

 瀬戸中央道で坂出に渡り、遍路用語では逆打ちということになるが、反時計回りに四国を一周して、歩き遍路さんに飲物、飴、お菓子等をお渡しした。返ってくる笑顔に、自分たちの姿を重ね合わせた。