旅行・おでかけ Feed

2012年1月 9日 (月)

新年の瀬戸内海

「飲んで、食べて、寝て」の1週間が過ぎ、なまった身体に”カツ”をいれようと近場にハイキングに出かけた。目的地は坂町にある頭部(ずぶう)みはらし公園。

とっかかりの階段を何とか登り切ったはいいものの、気分が悪くなってベンチでしばらく休憩、やはり急な運動には注意が必要だ。それでも、肉まんで元気をつけ再スタート。

案内の標識                                  最初の目標はあの東屋

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天気良好、風もなく、瀬戸内海の見晴らしが力をくれる    まもなく到着

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しばし、瀬戸内海の景色を堪能

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バードウォッチングの案内

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バイオトイレがあったり                         しっかり清掃もされていて、感謝

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少し登って、再び下り    

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次を目指す                                ススキ越しに、絵下山が見える

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山道を過ぎると

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再び、瀬戸内海が見えた

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道端の椿                               つわぶきを見て

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目的地へ

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身体にいいことしたなとちょっと満足するとともに、日頃の運動不足を反省

2011年12月11日 (日)

鉄人28号とルミナリエ

インターネットの通信速度アップを狙いプロバイダー変更に目が向いて、ブログへの関心が薄れていたが、いろいろ調べた結果、当面今のプロバイダーを継続することにした。

プロバイダーを変えると今までのメールアドレスが使えなくなること、また宅内工事をはじめ変更の手続きだけでも結構大変なことが第一の理由、更につなぎの期間をどうするかという問題もあって、踏み切るには至らなかった。

ただ、速度アップのみでなく、複数年契約や電話、テレビ等とのセットで格安料金をアピールするプロバイダーが結構あり、この動きには今後も片目を向けておこうと思っている。

ということで、久しぶりとなるブログは、神戸について。

以前から神戸に行く機会が時々あり、「いつかは見てみたい」と思っていたのが今回の鉄人28号とルミナリエ。

まずは鉄人28号。

小学生の頃に購読していた(正確には、親に買ってもらっていた)“少年”という漫画月刊誌の中で一番のお気に入りがこの“鉄人28号”だった。主人公の金田正太郎君が無線操縦器で鉄人28号を操り、悪を懲らしめるというストーリーなのだが、何故か無線操縦器が悪人の手に渡って困った場面とか、28号ができるまでに不完全版の27号があったというような話が頭に残っている。

鉄腕アトムの方がメジャーな漫画だったと思うのだが、子供心に鉄腕アトムはなんとなくお説教じみた感じがして「自分は鉄人28号」の方が好きだと感じていた記憶もある。

鉄人に会うにはJR神戸線新長田駅で降りる。

南西に少し歩くと後姿が見えた。         

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ウーン、まぎれもない鉄人28号、ちょっと感動     見に来ていた人にならって、ポーズ

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鉄人の周りを回り、更にビルの2階からも雄姿を撮影

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長年の宿題を片付けた気分で、満足、満足

続いてルミナリエ

新長田駅から元町へ

「特に土日は人が一杯」と聞いていたので、せめて昼に通りを歩くだけでもと元町から三宮に向けて歩く

スタート地点と思われる所

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ストリート まだ15時半なのにあちこちに座りこんでいる人がいるのに驚いた

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終点、東遊園地公園

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三宮駅まで歩き、「せめて点灯時刻の17時まではここにいよう」と妻と決めたものの、

いざ17時になって「せっかくだから終点付近だけでも見ておこう」と再び東遊園地公園へ

さすがに人でいっぱい

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モニュメント

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元町方面

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この省エネの時代に、何でもライトアップという風潮には首をかしげるのだが、

ルミナリエばかりはその光、灯りが持つ意味、与えてくれる力を受けとめ、かみしめたい

2011年3月 6日 (日)

尾道散策

先日の朝、たまたまNHKの“てっぱん“、録画していた“鶴瓶の家族に乾杯”小宮悦子出演の回を続けて見たのがきっかけで、尾道焼きを食べに行くことに決定。

「帰りに買い物するから…」と心の中でことわり、尾道駅から少し離れたスーパー駐車場に車を置いて、尾道焼の看板を探しながら、中心部まで歩く。アーケード街は結構大きい。

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ところが、尾道ラーメンののれんはあちこちで見かけるものの、お好み焼きは思ったより少なく、ようやく見つけた店も何故か休業。

それでも苦労の末にたどりついた店で早速「尾道焼きありますか」と尋ねると、返ってきた答は「よく尾道焼きと言われますが、うちはみんな尾道焼きです」。

「ん、尾道で焼くお好み焼きが尾道焼きか?」とわかったような、わからないような気持でいると、「よく言われるのはいか天、砂ずりを入れる…」という説明が続き、少し納得。いか天、そば入りを注文。

これが、その写真と書きたいところだが、写真を撮ることなどすっかり忘れてすぐに食べてしまった。いやー、美味しかった。

パイナップルとみかんがデザートで付いていて、意外感とお得感を演出しているのもニクい。

四国を歩いた身としては、「お接待かな」とも感じる。

続いて、コーヒー目当てに喫茶へ。

お好み焼きを探す途中でいわゆる純喫茶という雰囲気の店が何件もあり、心秘かに楽しみにしていた。あそこに行こうか、こちらにしようかと迷うのも楽しい。

純喫茶の多い街は風情のある街というのが私固有の一基準。

で、「ここ!」と決めて入った瞬間、しまった!

店内は狭く、テーブル席は申し訳程度で、カウンター席が5、6席ある程度。

観念して座ったものの、心の中には残念感が漂っている。

しかし、結論から書くと、正解だった。

コーヒーは美味しく、お店の人と話が弾み、緑茶が出てきたかと思うと、何と最後に八朔までいただいた。またもや、有難いお接待で、尾道の印象は上がる一方。

快晴に誘われ、千光寺に向けて歩く。

因みに尾道界隈はこんな感じ。

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尾道といえば、坂と石段。醸し出される雰囲気・風情で、登りもそれほど苦にならない。

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途中に、志賀直哉の旧居もあるが、今回は略。

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千光寺の境内に入る。

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素通りする人が多いけど、石鎚の鎖に模した場も

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風光明媚な場所だけに、写生の題材にも多く選ばれているようだ。

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鐘楼と、その側の平山郁夫スケッチポイント

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尾道といえば”文学の小道”

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山頂の展望台にある周辺の島の案内板、鼓岩(”てっぱん”の冒頭に出てくるのはこれかな?)   

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句碑、天寧寺三重塔

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途中に自称パワースポットもあったりして、すっかり気分もリフレッシュして帰途へ

千光寺公園一帯がパワースポットのような気もする

山陽線下を潜って、JR尾道駅前へと向かう

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千光寺山を振り返り、帰途へ

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いい一日だった。    

2011年1月24日 (月)

町石道を歩く(九度山~高野山)

四国遍路道ウォークつながりの最後、

2010年3月に町石道を歩いた。

町石道とは慈尊院(九度山町)から高野山へ至る約22kmの参道で、四国遍路の最後に歩くと聞いて、私達 も歩くことにした。

案内は下記(道中の掲示板)。

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前日、九度山町に宿泊し、町内を散策

真田庵とその中にあったことば

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「米金の金時像」

九度山町ウェブによると明治~大正時代の南紀荘平という陶芸家が作ったとされる高さ2mあまりの陶像

「まさかりかついだ金太郎…」という唄を思い出す。

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慈尊院へ向かう紀ノ川沿い

桜並木と、かわいらしい真田十勇士の像が迎える

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慈尊院のすぐ上、丹生官省符神社境内の桜

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高野山大門へ向かう気持ちが高まる

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紀ノ川と、かつらぎ町を望む。天気も良く、心豊かな時空間!

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1町(約109m)毎にある町石を確認しつつ、歩を進める。

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弘法大師がお母さんをかくまったとされる押上石、角に座って真言をとなえると、必ず成就するとのいわれがある鏡石

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道沿いの小川にはいつも心惹かれる、そしてつらら

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最後の登りを越えると、大門到着。

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壇上伽藍金堂、根本大塔、金剛峰寺に参拝。

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奥の院へもお参りしたが、恐れ多い感じがして写真はとらず。

有名な戦国武将の墓、企業の墓等が多いことに驚く。

宿泊は恵光院宿坊。

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お風呂で一緒になった外国人に話を聞くと、イスラエルからのツアーでこの後大阪、京都を回るとのこと。

高野山は世界遺産に選ばれたこともあって、外国人が多い。

高野山の町並み

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高野山駅からケーブルカーで帰途へ

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2011年1月10日 (月)

四国遍路道ウォーク_5 「ことば」

歩いている中で、すっと心に入ってきたことば、穏やかな気持ちになったことばをいくつか紹介したい

最初はロッジ尾崎さんの部屋にあったことば、

ひたすら室戸岬に向けて歩いている頃に出会い、力づけられた。

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ロッジ尾崎さんではとても暖かくもてなしていただき、この面でも 元気をいただいた

このブログで既出だけど、道端の寄せ書きに暑さが和らいだ

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がんばれよと、そっと言われているように感じた

「お遍路の静かに去って行く桜」    高浜年雄  (土佐 国分寺)    

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登りでの疲れを労わってくれているよう(青龍寺へ向かう塚地峠)

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歩いていると、この類も結構ある

人の心の荒びを思う(金剛福寺へ向かう道)

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これも既出だけど、「そうそう」と思わず頷く

「みんなでまもろう 川のいのち」(三原村)

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時には文学の香りも (龍光寺へ向かう柏坂)

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これは有名、場所が場所だけに説得力がある

坂村真民 (吉祥寺) 

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こういう、ほのぼのとした感じが好き

御木幽石 (道隆寺)

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ことばが持つ力は大きいと思う

2011年1月 9日 (日)

宮島

天気も良さそうなので新年の宮島へ

宮島への船はJRと松大汽船がある

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今回は発船時刻が近かった松大汽船を利用、内装が以前よりも洗練されていた

左の写真が進行方向、右は後方(フェリーなので前後の意味はあまりないが)

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船上から見る宮島

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混雑を避けて平日を選んだ作戦成功で、宮島桟橋を出ると下記の通り

(実は、人が少なくなるまで待った結果ではあるけれど…)

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観光地らしい風景、人力車を見たのは初めて

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お馴染みの鹿、流石に冬場はお休みモード

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参道風景

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宮島土産で有名なしゃくし

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再び、参道風景、こういう箴言?にはつい目がとられる

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鳥居と、記念写真スポット  いつ見ても、海の中の朱の大鳥居には感動する

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いよいよ、厳島神社の中へ   

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由来のある池、石

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五重塔、記念写真スポットの平舞台

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見るだけでなんか嬉しい 酒樽 、能舞台

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厳島神社を出て、古の風情が残る町並み

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簡単ながら厳島初詣の巻完

元日は地元のお宮さん、3日は護国神社、7日は厳島神社と初詣づくしで新しい年を迎えた

良い年であってほしいし、したいものだ

2011年1月 3日 (月)

四国遍路道ウォーク_4 「人」

 

以前のブログで、四国を歩いてのメッセージとして「積み重ね」ということを書いたが、もう一つの大きなメッセージは「人にとって最も大きな力、支えとなるのは人である」ということ。

 2年弱の歩きを通じて歩き遍路、宿、お寺、そして地元等の様々な人との出会いがあった。

 ここでは歩き遍路、地元の人との出会いについて触れたい。

 歩き遍路には、一人もいれば、一緒に歩こうと集った旧知の人、夫婦、更には歩いていて気が合い一緒に歩くようになった人等、様々な人がいる。また、実際にお会いした中でも、病から回復し、薬を携えながら一人で歩いていたおじさん、山歩き仲間と一緒に「一周することが好きなんだ」と言って80歳を過ぎても元気一杯のおじいさん、要領がよくいつの間にか私たちを追い抜いていたかと思うと風景を眺めながら足を休めているご夫婦、リュックを担いで野宿で通している若者等、世代や歩く姿も様々である。

 唯一共通なのは「88ケ所を歩く」ということで、すれ違えば親しみを込めて挨拶を交わし、休憩所や宿で一緒になれば「あの道は大変だったが、こっちの道は楽しかった。明日はどの道を行くのか、どこで泊まるのか?」などといった話題で盛り上がり、また何度目かの歩きの人がいれば、あれこれ教えてもらうという具合に、内面にまで立ち入ることはないものの、恰も以前からの知り合いだったかのように打ち解けてことばを交わすことができる。

 同じ時期に、同じ場所を歩くことで知り合い、語り、そしてまた明日は別れてゆく。多くの一期一会がここにはある。

 しんどい時、不安な時にも、今どこかを同じように歩いている人を思い起こすことがどれほど励みになることか。ましてや、女性一人の歩き遍路さんや、はるか昔に今とは比べようもない厳しさの下で歩いていたお遍路さんに思いを巡らせれば、今の自分の苦労など小さなことに思えてくる。

 遍路にはお接待というもてなしの慣習?があることを聞いていたが、最初に経験したのは2008年の5月、歩き始めて2日目、9番 法輪寺から10番 切幡寺に向かって心持ち汗ばんで歩いている時。道端にテントが張られ、老若男女そろったご家族が冷たい飲物を配っておられた。「えっ、もらっていいの」と一瞬戸惑ったものの、その優しい雰囲気に自然と手が出た。「毎年お配りしているんですよ。お気をつけて。」とのことばがとても嬉しく、早速いただいたジュースはこの上もなく美味しかった。

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 以降も、暑い中を走って来て冷たいジュースを手渡してくれたおばさん、一休みと立ち寄ったダムの休憩所で「私たちも歩いたことがあるんですよ」と言って、自分達用に持っておられたプリンを差し出してくれたご夫婦、突然車が停まったので何か尋ねられるのかなと思っているとタオルと飴を渡してくれたおじさん、「いつもお遍路さんが道の向こう側を歩いていてお接待ができずに残念に思っていた」と言って、昼食で頼んだ焼き飯に味噌汁、更に何とコーヒーまで付いていてびっくりしていたところへ代金を受け取らなかった食堂の母娘等、いたただいたお接待は数えきれない。

 日常生活では見も知らない人がものをくれるなどということは皆無に近いし、もしそのような機会があっても怪しんで受け取らないのが通常だろう。ところが、四国では知らない人が「お接待です」と言って、ものを差し出し、「ありがとうございます」と言って自然にいただくことができる。しかも、これらが暑さでぐったりしている時、歩き疲れて足が動かない時、寒さで心まで冷え込んでしまいそうな時など、絶妙のタイミングで施され、身体も心も生き返る。二言、三言ではあるものの交わすことばが更に大きな力を与えてくれる。

 歩きを支えてくれるのはお接待に限らない。道に迷っている様子を見ると進んで案内してくれる人、すれ違う際に「どこから来たの?ご苦労様、お気をつけて」と声をかけてくれる人、大きな声であいさつしてくれる小中学生、たくさんの遍路休憩小屋、泊めていただいた民宿等四国全体が暖かく迎え入れ、包んでくれているように感じた。

 私の遍路道ウォーキングはこのような多くの人に支えられて初めて可能になったと心底感じている。

 最後になるが、これまでいただいた力に少しでもお返ししたいと2010年の5月に四国お接待のドライブに出かけたことも記しておきたい。

 瀬戸中央道で坂出に渡り、遍路用語では逆打ちということになるが、反時計回りに四国を一周して、歩き遍路さんに飲物、飴、お菓子等をお渡しした。返ってくる笑顔に、自分たちの姿を重ね合わせた。

2010年12月11日 (土)

四国遍路道ウォーク_3 「道」その4 讃岐

「道」その4は讃岐。香川県の路を2009年12月から2010年2月にかけて3回で歩いた。

香川県はお寺さんの間が比較的近く、また全行程もこれまでに比べると短い。

必然的に気持の余裕があり、またこれで最後と思うと、歩きを楽しもう、しっかり締めくくろうと歩いた。

スタートは民宿 岡田さん、高度900mという88ケ寺中で最も高所にある雲辺寺に向けて午前6時46分、まだ暗い中を歩き始める。

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因みに歩き遍路さんは午前7時前に立ち、午後3~4時頃には宿に着いているという人が結構多いように感じた。登山の感覚に近い。

小雪が舞う中、雲辺寺受付の可愛い巫女さんからいただいたお接待のコーヒー缶で手を温めながら、大興寺を目指す。

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寒さの中で、蜜柑色の暖かさ、そして花

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回は改まり、観音寺駅からスタート

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ユニークな銭形君の道案内、因みに68 神恵院と69 観音寺は同じ境内にある

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こういう大らかさがいい(拡大して、表示板を見てください)

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71 弥谷寺と72 曼荼羅寺、73 出釈迦寺の分岐、歩きにうれしい道

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弥谷寺下

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午前8時頃、72 曼荼羅寺への途中、大池沿い。

平日、このような時間にゆったりと歩ける幸せ、贅沢を思う。

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曼荼羅寺近くまで先導してくれた犬、交差点に来ると歩みを止めた。

しつけられているのだろう。書いていて、映画の”きな子”を思い出した。

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本当にいつもありがとうございます。

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82 根香寺を過ぎ、五色台から見る高松市

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遍路小屋にもそれぞれ特徴があって楽しい。

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楽しみにしていた本場讃岐うどん、カウンター付近の人の流れは改善要だけど、安くて美味しかった。

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84 屋島寺への登りと、屋島の案内。話としてしか知らなかった所に来れて嬉しかった。

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屋島から次に登る五剣山(85 八栗寺)を望む、屋島の下りにあった遍路休憩所で蜜柑をいただく。

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志度寺境内の鳩、88ケ寺で鳩はここだけだったような気がする。

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ちょっと脱線。車を泊めさせたもらった宿のある丸亀に戻り、丸亀城を見物。

小ぶりだけど落ち着いたお城、天守閣からの眺めも素晴らしい。

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いよいよ最後の回、14回目

長尾寺にある、88 大窪寺への案内

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本来の遍路ルートは右側にある水色の花折峠を通るらしい。

しかし、いろいろネット等で調べると女体山ルートを選ぶ人が多いような気がしていた。

女体山への最後の登りは岩場で、足を滑らせると真っ逆さまという崖もあるそうな。

山歩きはするけれど高所恐怖症の私としてはそういうルートは避けたいところだが、

最後に逃げたとなれば男がすたる。しかも、再チャレンジの機会があるかは不明。

ということで女体山ルートに決定。

前山ダム

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最後なので念入りに

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遍路センター前、結願の道

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いよいよ歩きの路に

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最後の登りに備え、一呼吸入れる。向いが女体山、雪。

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いよいよ、登り開始

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雪はあるけど、まだ大丈夫

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いゃー、写真を撮っているような余裕なかったわ。 息もつがずに、一気に山頂へ。

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山歩き仲間で歩き遍路ツアーに参加した知り合いの人の話では、ガイドさんが「大変だったでしょう」と言ったら、

皆「え、どこが?」とポカンとしていたとか・・・。  まあ、いろいろな人がいるものだということで…。

山頂にあった手水鉢には分厚い氷!

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あの頂から降りてきました。

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ついに、大窪寺到着。夫婦ともに元気で来れたことが何より、もろもろの事柄全てに感謝。

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結願(私の場合には完歩)明け、午前7時の清々しい朝。

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1 霊山寺へ戻ります。お礼参りと呼ぶらしいが、する人もしない人もいるようだ。

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一時はかなりの雪が舞った。

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その後は快晴

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1 霊山寺到着。遍路道ウォーク完結!

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2008年5月から2010年2月まで、14回、39泊53日、1,153km(*)の歩きが完結した。

四国の風土、様々な人との出会い、お寺さん等々に触れ、歩きを重ねるとともに、遍路とは立派な文化遺産だとの思いを強くした。

また、遍路とはよく考えられた仕組(?)だとも感じた。これらについては、また書く機会もあるかと思う。

* 「四国遍路ひとり歩き同行二人」(へんろみち保存協力会発行)の距離を参考に、万歩計のカウントを補正しつつ、歩いた結果から算出したものである。、 

2010年11月27日 (土)

四国遍路道ウォーク_3 「道」その3 伊予

「道」その3は伊予。愛媛県の路を2009年5月から12月にかけて4回で歩いた。

スタート、いつものように路傍の花に元気をもらう。

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四国では様々な海を見たが、この中のお気に入りの一つ…室手海岸

パソコンの壁紙として活躍中。

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柏坂越え、地元の小学生が手作りの道案内マップ を準備してくれていた。

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宇和島市津島町は遠近川を挟んで発展、落ち着いた町

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国道56号松尾トンネルと、峠を越えたところの遍路休憩所、

最新式の水洗トイレが設置されていた。自転車遍路の方としばし歓談。

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宇和島市で見かけたマツダシャンテ08_2

昔々、我が家でも”ポロポロ”という2ストロークエンジン特有の音を響かせ、妻の車として活躍

1976年に販売終了にもかかわらず現役のよう、

しかもまだまだきれい、

今でも十分通じるデザイン!

元気でがんばれ!

宇和島駅と、蒸気機関車のモデル09

ボタンを押すと、「汽笛一声新橋を」

のメロディーが流れる。

四国横断自動車道工事と、工事用の設備

このようにお遍路さん向けにも配慮された工事現場を何度か見かけた。

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長さ一寸の歯を持つ歯長又太郎 が住んだという歯長峠を越えて、卯之町へ

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秋、と言えば栗

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大洲市、肱川。水の色、川原、水面に浮かぶ舟、向うに望む山、が醸し出す和らぎ

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大師が一夜を橋の下で過ごし、一夜が十夜にも感じられたという十夜ケ橋

橋の下で眠っている大師を起こさないように、”橋を歩く時には杖をつかない”という風習が生まれたとされている。

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十夜ケ橋を後に、しばらく歩くと後ろから、「朝から良いものを見せてもらった」という妻の独り言が聞こえた。

花、外国人向けの案内標識

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内子町には古の文化の香りが

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学生時代に愛読した大江健三郎さん21

の生家が近くにあるとのことだったが、

残念ながら見逃してしまった。

なんか遅いなと引き返してみると22

栗と格闘している姿が

何度かあった。

花、花、花、花

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久万小学校の木造校舎29

木の存在感に目を見張らされた。

遍路小屋と道案内

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ついに松山市、道後温泉に到着

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菊間町には瓦屋さんが目立つ。

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今治市39_2 

ベンチ一つがとてもありがたい。

午前7:3042_2 

横峰寺を目指す。

日本の犬43

という雰囲気の凛々しさ

柿、木々から漏れる朝陽が神々しい。

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いよいよ、横峰寺へ

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紅葉、黄葉の下を香園寺へ

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ちょっと案内が多過ぎ51

加茂川に架かる伊曽の橋52

欄干の鍵盤を叩くとメロディー(ふるさと)

が生まれる。

このような遍路休憩小屋もある53

コーヒー談義と、54

山から吹き降ろす強風”山路風”を教えてもらったコーヒー専門店

(伊予三島)

遍路小屋2件

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伊予の路は、海よりも山の印象が強い。これにて完。

2010年11月14日 (日)

四国遍路道ウォーク_3 「道」 その2 土佐

「道」その2は土佐、すなわち高知県の路。2008年10月から2009年5月にかけて5回で歩いた。

国道55号、23番 薬王寺、24番 最御崎寺のほぼ中間付近

道路標識にはこのようにお寺さんを案内したものがかなりあり、ありがたい。

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心のこもったロッジ尾崎でのもてなしはとても嬉しかった。

太平洋から昇った朝陽 に、今日一日への思いを確認する。

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24番 最御崎寺までは太平洋を左に見て、ひたすら55号を歩く。

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遍路小屋と、落書板で気分転換

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路傍の花にはいつも癒される。

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青年大師像が見えた時には思わず感動、そして弘法大師が修業したという御厨人窟(みくろど)

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室戸岬を過ぎ、振り返ると確かな道程が!

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そして行手が

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26番 金剛頂寺を過ぎ、太平洋を眺めながら歩く

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日本一高い防波堤、海面から16mとのこと

ここに限らず、海への備えがあちこちにあり、「今、津波が来たら…」などとついつい考えてしまう。

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ごめん・なはり線、心の中で「ごめんなはーい」と唱え、一人うける。

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自転車道は”歩き”に優しい。

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秋一色

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32番 禅師峰寺と33番 雪蹊寺の間、浦戸湾を県営フェリーで渡る。

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何と無料。なお、全行程を通じて自分の脚以外のものに頼ったのはこのフェリーのみ。

仁淀川のおおらかな流れ、水のきれいさは四万十川以上と地元の人が誇らしげに教えてくれた。

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塚地公園と塚地峠、ここを越えると宇佐町に出る。

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宇佐大橋を渡り、36番 青龍寺へ

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好印象の宿の一つ、国民宿舎土佐を出ての朝陽

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穏やかな安房(あわ)の海

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中土佐町 ”そえみみず”遍路道と”大坂越え”遍路道の分かれ

最初の頃は遍路道は一つと思い込んでいたので、何本かの道に出会った時にはびっくりしたが、

この頃には要領もわかり、距離、高度、風景等を予想して決めるようになった。

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楽しみにしていた”四万十”の標示が出てきた。

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真っ暗なトンネル、桜

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四万十川にただ感動

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桜、花一輪

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37番 岩本寺を過ぎ、38番 金剛福寺(足摺岬)までのお寺さんのない最長区間(80km超)に入る

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名前は知らないけど、きれいだったのでパチリ

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海岸を歩く遍路道

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全行程を通じて、最大のピンチ

海からの風雨で、全身びしょ濡れになった足摺の遍路道

雨に煙る山

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しかし、翌日は快晴、海と山道の織りなす風景に感動

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高知では数少ない山間の遍路道、三原村

山も、またいい

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みんなでまもろう 川のいのち

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いよいよ高知も最終章

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伊予との国境、松尾峠

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土佐の路、完