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2008年5月から2010年2月にかけて、四国の遍路道約1,150kmを14回に分け、39泊53日で歩いた。
きっかけはその前年にバスでの遍路ツアーを終えた妻の「今度は歩いてみたいな」の一言。
元々歩くのは好きで松江や倉敷等のツーデーウォークに何度か参加していたこともあり、また丁度時間的な余裕も出てきた頃で、ほぼ即決で実行が決定。
次回より、何度かに分けてテーマごとに綴っていきたい。
なお、私は遍路道は歩くが、お寺さんでは手を合わせるだけなので ” 遍路道ウォーク ” としている。
1986年の夏、いよいよ富士山を目指す。
三ヶ日の簡保センターで一泊し、明けて東名高速を一路東を目指して走っていると、考えていたよりもずっと上に突然富士山が見え、感動。
写真1(8mmフィルム→VHSヒデオ→DVDからのコピーなので見にくくてすみません)
北側の富士吉田市方面よりスバルラインで5合目へ昼過ぎに到着。
写真2
夜間登山になることを覚悟して15時頃に投宿するも、流石に眠れず、23時過ぎに登り始める。
足元は火山灰・火山礫で歩きにくいが、家族や周りの人たちと励まし合い、また降るような流れ星に気持ちを洗われて、ひたすら登る。
しかし、1時半頃7合目付近で、疲れがピークとなり、再度山小屋へ。
5時過ぎに起きて途中でご来光。
写真3
ただただ登る。
写真4
8合目で、「こんなに苦しんで登ってきたのだから頂上まで行く」とがんばってきた次男が「もう登らない」と訴えたので、「絶対にここにいるんだよ」と言って山小屋に残す。
9合目半で長男が「頭が痛いのでここで待つ」と言うので、頂上までもう一息のところではあるけれどその場に残す。
張り切って登ってきたけど、次男を残してのベースアップも影響したようだ。
子供二人を残して、心配のあまり急ぎ足で山頂へ。
写真5
ビデオに記録を残し早々に下山。
長男をピックアップし、8合目に戻ると、次男の目元には土埃が混じった涙の跡。
「自分を置いて帰ってしまったのかと思った」、「一人で登ろうかと思ったけど、待ってると約束したのでやめた」と…。
聞いていると胸がつぶれそう。
それでも、「外国の人がいろいろ話しかけてくれて…」とも。
とても健気で愛おしかった。
下山はブルドーザーの通り道を黙々と歩く。
途中、長男と次男を交互におんぶし、私の脚もガタガタ。
写真6
下まで降りて初めてカメラをどこかで忘れたことに気付いた。
山麓の案内所で教えてもらった旅館に入り、夕食を摂って倒れこむように眠った。
記憶に残る次男のことば「手はボロボロ、足もボロボロ」。
その後カメラは幸いにも富士吉田警察署の警察官が見つけて持って帰ってくれていたとのことで返ってきた。
今考えてもかなり壮絶な登山だった。
後から知ったのだけど、小さな子はまだ内臓の機能面より高地は無理があるのだとか、反省。
翌日は西湖畔でキャンプ、その後上高地、乗鞍と周って、自宅へ。
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