2011年4月17日 (日)

確実に時を刻むもの

東北地震の様子を見聞きするにつけ、ブログは書けない、書くような状況にはないと感じてきた。

しかし、地震から1ケ月が過ぎ、日本全体がいつまでも縮こまっていてはいけないというのもまた真理と考えるようになった。

ささやかなこだわりではあるが書き連ねていくことにしたい。

今回のテーマ“確実に時を刻むもの”とは電波時計のことである。

電波時計とは時刻情報をのせた標準電波を受けて、自動的に時刻補正をする時計のことで、常に限りなく標準時に近い時を刻んでくれる。

日本では1999年6月10日に福島県おおたかどや山標準電波送信所から標準電波の送信が開始され、電波時計も発売された。

このニュースを耳にして最初に買ったのが下記の腕時計である。

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以来、この腕時計は常に頼もしい相棒として私の左腕にあった。

休日の1,000円高速が始まった頃、数秒の余裕で無事割引時間内に滑り込んだこともあった。

そして、これに味を占め、買い連ねたのが下記。置時計が4台。

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柱時計が2台。

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車用時計が1ケ。

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我が家には1部屋に1台電波時計があると言ってもいい。

いや1台どころか、中には置時計と、柱時計がある部屋もある。

いやいや、電波時計以外も含めればもっとある。

何でこんなになったのか!?

それは、新しい機能のついた時計を見るとつい手が出るし、優れた機能があって安いとなると工業製品のお手本のような気がして買ってしまうというのが正直なところ。

因みに、置時計を例にとると、写真にあるように最初は月日、時刻の表示しかなかったものがアラームセット、更に曜日・気温が加わりという具合に着実な進化が見て取れる。

流石に買い控えてはいるが、最近は湿度が表示されるものもある。

この最後の置時計は確か750円で、単三電池1ケで数年間正確な時を刻み、温度を伝え、アラームを鳴らし、ボタンを押せば照明までつくのだから本当にすごいと思う。

話は戻るが、私の頼もしい相棒への信頼がこの1ケ月揺らいでいる。

その理由は東北地震に伴う福島原発問題でおおたかどや山標準電波送信所(原発から半径20km圏内とされる避難区域にある)が運用を休止していること。この状況は下記の腕時計の表示からもわかる。

最後に電波を受信したのは3月12日の午前4時10分となっている。ネットによれば19時46分に停波したとのこと。

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実は2001年10月1日に九州のはがね山標準電波送信所も運用を開始したが、私の腕時計はこの運用開始前に購入したもののため、はがね山の電波を拾えず、おおたかどや山がダウンするとクォーツの標準精度になってしまう。

同じく置時計の最初の2台もおおたかどや山の電波しか拾わないことより精度が落ちてきている。

電波を受信すると表示される電波塔のようなマークが下2台にしかないことが写真からもわかってもらえると思う。

さて、最後は一昨日入手した最新の電波腕時計を紹介したい。

私にとっての初めての機能は太陽電池で動くこと。更に日本のみでなく、アメリカ、ヨーロッパの電波にも対応していること。

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最初の腕時計は場所や置き方によっては電波を受信しないことがあり、また10年もたってかなりくたびれてきたため次の機種を探してきた中で、デザインも機能も気に入ったのがこの通販限定製品。壊れたら買おうと思っていたところへ、停波問題が起き、更にどうも本機種販売中止の雰囲気が感じられたので購入を決めた次第。

なお、本機種を買った直後に発売された後継機は中国の電波にも対応しているとのことだが、中国に行くことはまずないし、デザインもお気に入りのラインから少しはずれたものになってしまったので残念感は全くなし。

おおたかどや山標準電波が復帰した時には腕時計2ケをどのように使い分けるかが悩みの種になるものと思うが、この悩みが一刻も早く現実になることを強く願っている。

こんなことを書いている今も東北では多くの人が苦労や困難に直面し、またこの打開のため、復興のため、助け合い、協力し合って、力強く活動されているであろうことに思いを馳せる。

復興に向けて、確実に、かつ着実に時は刻まれているものと願い、信じている。

2011年3月 6日 (日)

尾道散策

先日の朝、たまたまNHKの“てっぱん“、録画していた“鶴瓶の家族に乾杯”小宮悦子出演の回を続けて見たのがきっかけで、尾道焼きを食べに行くことに決定。

「帰りに買い物するから…」と心の中でことわり、尾道駅から少し離れたスーパー駐車場に車を置いて、尾道焼の看板を探しながら、中心部まで歩く。アーケード街は結構大きい。

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ところが、尾道ラーメンののれんはあちこちで見かけるものの、お好み焼きは思ったより少なく、ようやく見つけた店も何故か休業。

それでも苦労の末にたどりついた店で早速「尾道焼きありますか」と尋ねると、返ってきた答は「よく尾道焼きと言われますが、うちはみんな尾道焼きです」。

「ん、尾道で焼くお好み焼きが尾道焼きか?」とわかったような、わからないような気持でいると、「よく言われるのはいか天、砂ずりを入れる…」という説明が続き、少し納得。いか天、そば入りを注文。

これが、その写真と書きたいところだが、写真を撮ることなどすっかり忘れてすぐに食べてしまった。いやー、美味しかった。

パイナップルとみかんがデザートで付いていて、意外感とお得感を演出しているのもニクい。

四国を歩いた身としては、「お接待かな」とも感じる。

続いて、コーヒー目当てに喫茶へ。

お好み焼きを探す途中でいわゆる純喫茶という雰囲気の店が何件もあり、心秘かに楽しみにしていた。あそこに行こうか、こちらにしようかと迷うのも楽しい。

純喫茶の多い街は風情のある街というのが私固有の一基準。

で、「ここ!」と決めて入った瞬間、しまった!

店内は狭く、テーブル席は申し訳程度で、カウンター席が5、6席ある程度。

観念して座ったものの、心の中には残念感が漂っている。

しかし、結論から書くと、正解だった。

コーヒーは美味しく、お店の人と話が弾み、緑茶が出てきたかと思うと、何と最後に八朔までいただいた。またもや、有難いお接待で、尾道の印象は上がる一方。

快晴に誘われ、千光寺に向けて歩く。

因みに尾道界隈はこんな感じ。

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尾道といえば、坂と石段。醸し出される雰囲気・風情で、登りもそれほど苦にならない。

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途中に、志賀直哉の旧居もあるが、今回は略。

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千光寺の境内に入る。

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素通りする人が多いけど、石鎚の鎖に模した場も

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風光明媚な場所だけに、写生の題材にも多く選ばれているようだ。

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鐘楼と、その側の平山郁夫スケッチポイント

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尾道といえば”文学の小道”

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山頂の展望台にある周辺の島の案内板、鼓岩(”てっぱん”の冒頭に出てくるのはこれかな?)   

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句碑、天寧寺三重塔

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途中に自称パワースポットもあったりして、すっかり気分もリフレッシュして帰途へ

千光寺公園一帯がパワースポットのような気もする

山陽線下を潜って、JR尾道駅前へと向かう

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千光寺山を振り返り、帰途へ

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いい一日だった。    

2011年2月20日 (日)

休日はコーヒーから

コーヒーを本格的に飲み始めたのは社会人になってから。

独身寮時代、コーヒー好きの友人がいて、手回しのコーヒーミルで豆を挽き、アルコールランプを使ってサイフォンで入れるという本格派。

その一連の作業が儀式めいていて、見ているだけで楽しい。

今思うと、コーヒーそのものよりもこの儀式に魅かれていたのかもしれない。

“自分も”と、同じように一式そろえ、見よう見まねで何年か続けたが、ある時電動ミル付の電気式コーヒーメーカーを見つけ、“これは便利”と、あっさり転向。

何年か続いた後、きっかけはもう忘れたけど、更に手軽なレギュラーコーヒー派に転向して現在に至っている。

そしていつの頃からか、休日の朝は必ずコーヒーを楽しむようになった。

「コーヒーカップを手に、朝刊を読む」のが日常生活の中での至福の時。

で、最近の楽しみは好みに合うレギュラーコーヒーを見つけること。

若い頃はキリマンジャロを気に入っていたが、最近はいま一つしっくりこず、もっぱら美味しいブレンドを求める日々となっている。

以前にギフトセットで手にしたコーヒーが素晴らしく美味しくて、あれなら決まりなのだけど、残念ながらブランドを覚えていない。

UCC、キーコーヒー、小川珈琲等 また、プレミアム、スペシャル、オリジナル等の様々なブランドを彷徨っている。

これまでの中ではUCCの凛、小川珈琲のプレミアムがベスト2だが、まだ「これに決めた」というレベルには達せず。

コーヒー値上げのニュースを聞いて、「それならこの機会にまだ飲んだことのないブランドを試してみよう」と買い込んだのが下記。

なお、左端は妻の友人からいただいた尾道浪漫珈琲の自家焙煎“ゴールドスペシャル”

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そして、先日妻の誕生祝にと子供が送ってきてくれた金澤屋珈琲店のギフト

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これだけのコーヒーに囲まれるのは初めてで、なんか嬉しい。

この中に、「これこそが求めていたものだ!」と言えるものに出会えることを期待して、明日からも好みのコーヒー探索が続く。

おまけ

妻が友達との山歩き用に購入したお徳用のコーヒー、どんなんかな?

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2011年2月12日 (土)

青いバラはいかが

名前がわかる花と言えば桜とバラと百日草ぐらい、ましてや育てることとは縁遠い人生を歩んできたが、花を愛でる心は持っているつもり。

ということで今回は青いバラについて。

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先日の妻の誕生祝いに買ったのがこの青いバラ。

次男のお嫁さんが一緒に住んでいた頃、「妻の誕生祝いに何がいいかな?」と愛らしい彼女に相談したところ、返ってきたのが、「お父さん、お花をもらって嬉しくない女の人はいませんよ…」の一言。以来、誕生日には花を贈るようにしている。

先週の日曜日、近所の花屋さんで予算を告げ、適当なものを見繕ってくれるように頼んだものの、全てお任せでは流石に芸がなさすぎと考え、ショーケースの中を見ると青い花が目に付いた。

「この花は何?」と尋ねると、「バラです。ただし、その青は塗っています。」との返事にゲンナリ。

それでは と全体を見渡したところ、てっぺんに凛と佇む花が2本。

「あれは?」と尋ねると、「青いバラです」との答。以前のニュースでサントリーが成功したというあれだとピンときて、俄然興味が湧き、値段を聞くとわずかに予算オーバー、これ1本でそれまで花屋さんが準備しつつあった十数本よりも高い。

「1本ではまずいかねえ」と花屋さんに相談しながらも、心の中ではもうすっかりその気になっている。

「いいえ、別におかしくはないですよ」の返事を聞く間もなく、「せっかく、準備してくれているのを申し訳ないけど、ではこれを一本お願いします」と即決。

そこで、花屋さんが「はいわかりました。」の後に、「あっ…」と一言、

「どうしたの」と聞くと、「残りの一本もおまけしようかと思って」と…。

ラッキー!

手際よく花を整えながら、花屋さんはこの青いバラを扱うのは今回が初めてで、私が二人目の買い手であること、この近辺で扱っているのは4店しかないこと、普通の花は週に2回入るけどこれは2週間に1回だということなどを嬉しそうに話してくれた。

若い男性だけど、花が好きなことが身体全体から伝わってくる。

そして、「こういうものが花に付いてくるのは初めてです」と言って渡してくれたのがこのパンフレットと鮮度保持剤。

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流石、サントリーさん商売上手。

ただし、花屋さんによればあまり儲かってはいないとか。

“SUNTORY blue rose APPLAUSE”のパンフレットから

アプローズとは喝采

花ことばは「夢かなう」

恋人を喜ばせようと僕は摘んだ

赤い薔薇と白い薔薇を。

恋人はどちらの花束も受けとらない・・・

彼女は青い薔薇を摘んできてねと言った。

僕は世界の半分をさまよった、

青い薔薇が咲く土地を探して。

Rudyard Kipling

橋本 槇矩 訳

買ってからもうすぐ1週間、その清楚な佇まい、気品が我が家に潤いを与えてくれている。

2011年2月 6日 (日)

パソコンを楽しむ

 パソコンとの付き合いは1981年に発売されたホビー用のNEC PC6001からなので、もう30年になる。

 その後、PC6001の後継機として発売されたPC6601を経て、マルチメディァパソコンCanbe、NEC初のDOC/VパソコンValuestar NX、そして現在のDOS/VパラダイスのオリジナルブランドパソコンPRIMEに続く。この間、他にもサブ用にデスクトップパソコン2台、仕事用にノートパソコン2台購入しており、改めて数えてみると9台になる。

 更に、妻用、子供用として購入したものも加えると14台で、これらのセットアップも全て一人でやっており、これまでにパソコンにつぎ込んだ金と時間はかなりのものとなる。Windows95の時代にはトラブルを治すため再インストールせざるを得ず何回か徹夜したこともあるが、これもみんな好きでやっていることで、パソコンおたくの域にあるかもしれない。

 ふりかえってみればPC6001時代はプログラムやデータの読み書きはカセットテープで悠長なものだったが、その後フロッピーディスク、更に最近のUSBやCD,DVDへと容量も速さも、更には精度も莫大な進歩を遂げている。

 また、ハードディスクの容量も20MBとか言っていたのが今や2TBという具合に1万~10万倍にもなっており、この間の進歩には本当に驚かされる。これだけ性能が上がりながら、値段は1/4~6くらいに下がっているのだから、技術の進歩のお手本と言ってもいいのではないだろうか。

 また、使い方の面での進歩も本当に素晴らしい。一例はネット環境で、電話線を使ったパソコン通信で電子会議室に入り、山歩きの情報を探したり、フレッツISDNで一晩かけてデータやプログラムをダウンロードしていたのが、今ではインターネットであっという間にどんな情報でも調べることができるようになった。

 草の根の声が企業や政治まで動かす現状はもはや使い方の範疇を大きく超えていると言わねばならない。

 さて、本題。現在のPRIMEパソコンに関して紹介したい。

 2003年3月購入で、この世界ではもう2,3世代以上も古いということになるかもしれないが、まだまだ現役で頑張っている!

 それまでのメーカー製と異なり、基本的には自作仕様のためカスタマイズが可能で、問題が出た部品は交換し、また性能に不満を感じれば強化を図ってきた。

 結果としてマザーボード、電源、ケース以外は全て変更になっている。

 最近は適合する部品が中古しかないが、中古品でパワーアップすれば、安上がりに、資源の有効活用までできるわけで満足感が更に高まる。

 因みに下記のDVD DRIVE No.1は昨日手に入れたもので、DVD-RAMの読み書きはできるがDVD-RWの書き込みはできないという変わりものである。DVD DRIVE No.2でのDVD-RAM読み書き不安定に少し不満を感じていたところなので、中古ショップに偶々出ていたものを見つけ、これも縁と買ってきた。LogitecのLDR-N106AKという機種で、DVD-RAMの本家であるPANASONICからのOEMなので多分行けるだろと思って取り付けたところ極めて安定。これで、長寿命とは聞いていたもののほとんど使うことのなかったDVD-RAMを大事なデータ保存用として安心して使えるようになった。

 新品時36,800円のものを300円で手に入れ、パソコンいじりを楽しんで、新たな性能が得られるようになったと喜んでいる私も変わり者かも…。

 というようなことで、最新のパソコンには到底比べるべくもないが、ウェブ閲覧や、メール、Google Earthも含む通常のソフトや、少々の動画操作であれば全くと言っていいほど不都合を感じることない。

 これ以上手をかける余地はほとんどないので、今後は楽しんで使い、WindowsXPのサポートが切れる2、3年後には新モデル、新OSに切り替えたいと考えている。10年も使えば悪くはないだろう。

[仕様]

マザーボード    MSI 845GE-MAX-L(変更なし)

CPU             Pentium 4  3.06GHz HTテクノロジー ← 2.4 GHz

メモリ            2GB ← 512 kB

HDD No.1        80 GB ← 40 GB

HDD No.2増設   320 GB 

DVD DRIVE No.1      RAM/-R DRIVE増設 ← COMBO DRIVE ← CD RW DRIVE

DVD DRIVE No.2増設  DVD R/RW/RAM DRIVE

グラフィックボード増設 21.5インチ デジタル液晶ディスプレイ使用

TV/ビデオキャプチャーボード増設

SD,MSカード等用のスロット増設

冷却ファン増設

DVD DRIVE No.1増設前後の写真、いつでも元に戻せるようCOMBO DRIVEはそのままとしている。

         After                                                          Before

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上からDVD DRIVE No.2、 DVD DRIVE No.1 RAM/-R DRIVE、  DVD DRIVE No.1 COMBO DRIVE

2011年1月24日 (月)

町石道を歩く(九度山~高野山)

四国遍路道ウォークつながりの最後、

2010年3月に町石道を歩いた。

町石道とは慈尊院(九度山町)から高野山へ至る約22kmの参道で、四国遍路の最後に歩くと聞いて、私達 も歩くことにした。

案内は下記(道中の掲示板)。

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前日、九度山町に宿泊し、町内を散策

真田庵とその中にあったことば

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「米金の金時像」

九度山町ウェブによると明治~大正時代の南紀荘平という陶芸家が作ったとされる高さ2mあまりの陶像

「まさかりかついだ金太郎…」という唄を思い出す。

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慈尊院へ向かう紀ノ川沿い

桜並木と、かわいらしい真田十勇士の像が迎える

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慈尊院のすぐ上、丹生官省符神社境内の桜

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高野山大門へ向かう気持ちが高まる

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紀ノ川と、かつらぎ町を望む。天気も良く、心豊かな時空間!

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1町(約109m)毎にある町石を確認しつつ、歩を進める。

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弘法大師がお母さんをかくまったとされる押上石、角に座って真言をとなえると、必ず成就するとのいわれがある鏡石

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道沿いの小川にはいつも心惹かれる、そしてつらら

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最後の登りを越えると、大門到着。

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壇上伽藍金堂、根本大塔、金剛峰寺に参拝。

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奥の院へもお参りしたが、恐れ多い感じがして写真はとらず。

有名な戦国武将の墓、企業の墓等が多いことに驚く。

宿泊は恵光院宿坊。

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お風呂で一緒になった外国人に話を聞くと、イスラエルからのツアーでこの後大阪、京都を回るとのこと。

高野山は世界遺産に選ばれたこともあって、外国人が多い。

高野山の町並み

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高野山駅からケーブルカーで帰途へ

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2011年1月10日 (月)

四国遍路道ウォーク_5 「ことば」

歩いている中で、すっと心に入ってきたことば、穏やかな気持ちになったことばをいくつか紹介したい

最初はロッジ尾崎さんの部屋にあったことば、

ひたすら室戸岬に向けて歩いている頃に出会い、力づけられた。

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ロッジ尾崎さんではとても暖かくもてなしていただき、この面でも 元気をいただいた

このブログで既出だけど、道端の寄せ書きに暑さが和らいだ

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がんばれよと、そっと言われているように感じた

「お遍路の静かに去って行く桜」    高浜年雄  (土佐 国分寺)    

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登りでの疲れを労わってくれているよう(青龍寺へ向かう塚地峠)

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歩いていると、この類も結構ある

人の心の荒びを思う(金剛福寺へ向かう道)

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これも既出だけど、「そうそう」と思わず頷く

「みんなでまもろう 川のいのち」(三原村)

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時には文学の香りも (龍光寺へ向かう柏坂)

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これは有名、場所が場所だけに説得力がある

坂村真民 (吉祥寺) 

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こういう、ほのぼのとした感じが好き

御木幽石 (道隆寺)

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ことばが持つ力は大きいと思う

2011年1月 9日 (日)

宮島

天気も良さそうなので新年の宮島へ

宮島への船はJRと松大汽船がある

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今回は発船時刻が近かった松大汽船を利用、内装が以前よりも洗練されていた

左の写真が進行方向、右は後方(フェリーなので前後の意味はあまりないが)

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船上から見る宮島

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混雑を避けて平日を選んだ作戦成功で、宮島桟橋を出ると下記の通り

(実は、人が少なくなるまで待った結果ではあるけれど…)

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観光地らしい風景、人力車を見たのは初めて

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お馴染みの鹿、流石に冬場はお休みモード

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参道風景

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宮島土産で有名なしゃくし

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再び、参道風景、こういう箴言?にはつい目がとられる

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鳥居と、記念写真スポット  いつ見ても、海の中の朱の大鳥居には感動する

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いよいよ、厳島神社の中へ   

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由来のある池、石

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五重塔、記念写真スポットの平舞台

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見るだけでなんか嬉しい 酒樽 、能舞台

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厳島神社を出て、古の風情が残る町並み

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簡単ながら厳島初詣の巻完

元日は地元のお宮さん、3日は護国神社、7日は厳島神社と初詣づくしで新しい年を迎えた

良い年であってほしいし、したいものだ

2011年1月 3日 (月)

四国遍路道ウォーク_4 「人」

 

以前のブログで、四国を歩いてのメッセージとして「積み重ね」ということを書いたが、もう一つの大きなメッセージは「人にとって最も大きな力、支えとなるのは人である」ということ。

 2年弱の歩きを通じて歩き遍路、宿、お寺、そして地元等の様々な人との出会いがあった。

 ここでは歩き遍路、地元の人との出会いについて触れたい。

 歩き遍路には、一人もいれば、一緒に歩こうと集った旧知の人、夫婦、更には歩いていて気が合い一緒に歩くようになった人等、様々な人がいる。また、実際にお会いした中でも、病から回復し、薬を携えながら一人で歩いていたおじさん、山歩き仲間と一緒に「一周することが好きなんだ」と言って80歳を過ぎても元気一杯のおじいさん、要領がよくいつの間にか私たちを追い抜いていたかと思うと風景を眺めながら足を休めているご夫婦、リュックを担いで野宿で通している若者等、世代や歩く姿も様々である。

 唯一共通なのは「88ケ所を歩く」ということで、すれ違えば親しみを込めて挨拶を交わし、休憩所や宿で一緒になれば「あの道は大変だったが、こっちの道は楽しかった。明日はどの道を行くのか、どこで泊まるのか?」などといった話題で盛り上がり、また何度目かの歩きの人がいれば、あれこれ教えてもらうという具合に、内面にまで立ち入ることはないものの、恰も以前からの知り合いだったかのように打ち解けてことばを交わすことができる。

 同じ時期に、同じ場所を歩くことで知り合い、語り、そしてまた明日は別れてゆく。多くの一期一会がここにはある。

 しんどい時、不安な時にも、今どこかを同じように歩いている人を思い起こすことがどれほど励みになることか。ましてや、女性一人の歩き遍路さんや、はるか昔に今とは比べようもない厳しさの下で歩いていたお遍路さんに思いを巡らせれば、今の自分の苦労など小さなことに思えてくる。

 遍路にはお接待というもてなしの慣習?があることを聞いていたが、最初に経験したのは2008年の5月、歩き始めて2日目、9番 法輪寺から10番 切幡寺に向かって心持ち汗ばんで歩いている時。道端にテントが張られ、老若男女そろったご家族が冷たい飲物を配っておられた。「えっ、もらっていいの」と一瞬戸惑ったものの、その優しい雰囲気に自然と手が出た。「毎年お配りしているんですよ。お気をつけて。」とのことばがとても嬉しく、早速いただいたジュースはこの上もなく美味しかった。

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 以降も、暑い中を走って来て冷たいジュースを手渡してくれたおばさん、一休みと立ち寄ったダムの休憩所で「私たちも歩いたことがあるんですよ」と言って、自分達用に持っておられたプリンを差し出してくれたご夫婦、突然車が停まったので何か尋ねられるのかなと思っているとタオルと飴を渡してくれたおじさん、「いつもお遍路さんが道の向こう側を歩いていてお接待ができずに残念に思っていた」と言って、昼食で頼んだ焼き飯に味噌汁、更に何とコーヒーまで付いていてびっくりしていたところへ代金を受け取らなかった食堂の母娘等、いたただいたお接待は数えきれない。

 日常生活では見も知らない人がものをくれるなどということは皆無に近いし、もしそのような機会があっても怪しんで受け取らないのが通常だろう。ところが、四国では知らない人が「お接待です」と言って、ものを差し出し、「ありがとうございます」と言って自然にいただくことができる。しかも、これらが暑さでぐったりしている時、歩き疲れて足が動かない時、寒さで心まで冷え込んでしまいそうな時など、絶妙のタイミングで施され、身体も心も生き返る。二言、三言ではあるものの交わすことばが更に大きな力を与えてくれる。

 歩きを支えてくれるのはお接待に限らない。道に迷っている様子を見ると進んで案内してくれる人、すれ違う際に「どこから来たの?ご苦労様、お気をつけて」と声をかけてくれる人、大きな声であいさつしてくれる小中学生、たくさんの遍路休憩小屋、泊めていただいた民宿等四国全体が暖かく迎え入れ、包んでくれているように感じた。

 私の遍路道ウォーキングはこのような多くの人に支えられて初めて可能になったと心底感じている。

 最後になるが、これまでいただいた力に少しでもお返ししたいと2010年の5月に四国お接待のドライブに出かけたことも記しておきたい。

 瀬戸中央道で坂出に渡り、遍路用語では逆打ちということになるが、反時計回りに四国を一周して、歩き遍路さんに飲物、飴、お菓子等をお渡しした。返ってくる笑顔に、自分たちの姿を重ね合わせた。

2010年12月11日 (土)

四国遍路道ウォーク_3 「道」その4 讃岐

「道」その4は讃岐。香川県の路を2009年12月から2010年2月にかけて3回で歩いた。

香川県はお寺さんの間が比較的近く、また全行程もこれまでに比べると短い。

必然的に気持の余裕があり、またこれで最後と思うと、歩きを楽しもう、しっかり締めくくろうと歩いた。

スタートは民宿 岡田さん、高度900mという88ケ寺中で最も高所にある雲辺寺に向けて午前6時46分、まだ暗い中を歩き始める。

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因みに歩き遍路さんは午前7時前に立ち、午後3~4時頃には宿に着いているという人が結構多いように感じた。登山の感覚に近い。

小雪が舞う中、雲辺寺受付の可愛い巫女さんからいただいたお接待のコーヒー缶で手を温めながら、大興寺を目指す。

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寒さの中で、蜜柑色の暖かさ、そして花

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回は改まり、観音寺駅からスタート

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ユニークな銭形君の道案内、因みに68 神恵院と69 観音寺は同じ境内にある

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こういう大らかさがいい(拡大して、表示板を見てください)

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71 弥谷寺と72 曼荼羅寺、73 出釈迦寺の分岐、歩きにうれしい道

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弥谷寺下

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午前8時頃、72 曼荼羅寺への途中、大池沿い。

平日、このような時間にゆったりと歩ける幸せ、贅沢を思う。

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曼荼羅寺近くまで先導してくれた犬、交差点に来ると歩みを止めた。

しつけられているのだろう。書いていて、映画の”きな子”を思い出した。

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本当にいつもありがとうございます。

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82 根香寺を過ぎ、五色台から見る高松市

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遍路小屋にもそれぞれ特徴があって楽しい。

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楽しみにしていた本場讃岐うどん、カウンター付近の人の流れは改善要だけど、安くて美味しかった。

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84 屋島寺への登りと、屋島の案内。話としてしか知らなかった所に来れて嬉しかった。

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屋島から次に登る五剣山(85 八栗寺)を望む、屋島の下りにあった遍路休憩所で蜜柑をいただく。

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志度寺境内の鳩、88ケ寺で鳩はここだけだったような気がする。

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ちょっと脱線。車を泊めさせたもらった宿のある丸亀に戻り、丸亀城を見物。

小ぶりだけど落ち着いたお城、天守閣からの眺めも素晴らしい。

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いよいよ最後の回、14回目

長尾寺にある、88 大窪寺への案内

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本来の遍路ルートは右側にある水色の花折峠を通るらしい。

しかし、いろいろネット等で調べると女体山ルートを選ぶ人が多いような気がしていた。

女体山への最後の登りは岩場で、足を滑らせると真っ逆さまという崖もあるそうな。

山歩きはするけれど高所恐怖症の私としてはそういうルートは避けたいところだが、

最後に逃げたとなれば男がすたる。しかも、再チャレンジの機会があるかは不明。

ということで女体山ルートに決定。

前山ダム

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最後なので念入りに

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遍路センター前、結願の道

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いよいよ歩きの路に

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最後の登りに備え、一呼吸入れる。向いが女体山、雪。

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いよいよ、登り開始

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雪はあるけど、まだ大丈夫

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いゃー、写真を撮っているような余裕なかったわ。 息もつがずに、一気に山頂へ。

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山歩き仲間で歩き遍路ツアーに参加した知り合いの人の話では、ガイドさんが「大変だったでしょう」と言ったら、

皆「え、どこが?」とポカンとしていたとか・・・。  まあ、いろいろな人がいるものだということで…。

山頂にあった手水鉢には分厚い氷!

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あの頂から降りてきました。

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ついに、大窪寺到着。夫婦ともに元気で来れたことが何より、もろもろの事柄全てに感謝。

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結願(私の場合には完歩)明け、午前7時の清々しい朝。

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1 霊山寺へ戻ります。お礼参りと呼ぶらしいが、する人もしない人もいるようだ。

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一時はかなりの雪が舞った。

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その後は快晴

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1 霊山寺到着。遍路道ウォーク完結!

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2008年5月から2010年2月まで、14回、39泊53日、1,153km(*)の歩きが完結した。

四国の風土、様々な人との出会い、お寺さん等々に触れ、歩きを重ねるとともに、遍路とは立派な文化遺産だとの思いを強くした。

また、遍路とはよく考えられた仕組(?)だとも感じた。これらについては、また書く機会もあるかと思う。

* 「四国遍路ひとり歩き同行二人」(へんろみち保存協力会発行)の距離を参考に、万歩計のカウントを補正しつつ、歩いた結果から算出したものである。、